聖母被昇天学院の母体である「聖母被昇天修道会」は、フランスのパリに本部を置き、現在その姉妹校や教育団体は、世界の34カ国に行きわたっています。
第二次世界大戦中、フィリピンを訪れた大阪の田口枢機卿様は、日本軍の占領によってこの国にもたらされている苦難にもかかわらず、聖母被昇天修道会のシスターや生徒たちの、自分への温かい歓迎にとても心を動かされました。田口枢機卿様は、日本にも聖母被昇天の学校を建てることを熱望したのです。聖母被昇天修道会のシスターたちは、愛と喜びの心を持って、日本にも同じ理念を持つ学校を建てることに力を尽くしてくださいました。
スペイン、イタリア、フランス、フィリピンから5人のシスターが日本を訪れたのは、1952年4月のことでした。彼女たちは、大阪・豊中カトリック教会の司教館に居を定め、国際色豊かなコミュニティによって、学校設立の準備を始めました。そして、翌年1953年、活動の場を箕面に移し、聖母被昇天学院を設立しました。用地の調達や、校舎の建設などにかかる莫大な費用は、フィリピンの聖母被昇天からの資金でまかなわれました。当時、戦争によってほとんどの建物が被害を受けていたフィリピンの聖母被昇天は、それらが被災したことで受け取った賠償金のすべてを、日本の学院の建設のために寄付してくれたのです。
「誠実・隣人愛・喜び」をモットーに、キリスト教的な精神に根ざした教育を行い、創立者の求めた「人間を大切にする社会を築く、豊かな人格を持った女性の育成」を目指した教育の場として、現在に及んでいます。